映画『ブラック・ショーマン』が9月12日に公開。東野圭吾による小説『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』(光文社)が原作の本作で、『ガリレオ』シリーズで長年、東野とタッグを組んできた福山雅治が、元・超一流マジシャンでありながら金にシビアで息を吐くように嘘をつく神尾武史を演じる。実は、『ブラック・ショーマン』シリーズは福山の「ダークヒーローを演じてみたい」という言葉がきっかけで生まれた作品だとか。常にエンターテイナーとしての振る舞いを忘れない神尾を福山はどのように演じたのか…たっぷり語ってもらった。
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■物語ができたからには映像にしたい
――今回、福山さんの「ダークヒーローを演じてみたい」という一言が東野先生の執筆のきっかけになったとのこと。実際に物語が出来上がった時のお気持ちはいかがでしたか?
福山:うれしかったです。物語ができたからには、「やっぱり映像にしたいですよね!」と思ってしまいました。物語の構造が面白くて、読んでいると一瞬「何の話だっけ?」となりながらも、最終的に「ああ、このことが聞きたかったのか」というところに着地していく。神尾の話にはトリックや仕掛けが必ずあるんですけど、最初は分からない、手品のようなトーク術なんです。
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――長く東野先生とお仕事をされている福山さんが思う“東野圭吾作品”の魅力とは?
福山:僕は、東野先生ご自身が大変情に厚い方だと思っています。先生の作品に出てくる人は、主人公に関してはキャラクターが立っている人が多いですが、他の登場人物はごく当たり前の暮らしをしている人が多い。湯川さんは普段は何をやっているか分からないし、武史も謎が多い男です。ただ他の登場人物は、いい意味でありふれた日常を暮らしている方が多くて。その心の機微が描けるのは、先生が日々の暮らしで当たり前の人付き合いをごく自然にやられているから描けるんだろうなと思うんです。
一方で先生は物理学をやられていたので、非常に論理的で物事をロジカルに分解し組み立てることができる方でもある。この両軸が先生の作品の楽しみ方だと僕は思っています。
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――そもそも、福山さんがダークヒーローを演じてみたいと思ったきっかけは、どういったところだったんでしょう?
福山:東野先生原作の『ガリレオ』シリーズを長くやらせていただいて、湯川学という天才物理学者の存在がもし悪の心を持ってしまったら、それこそマッドサイエンティストとしてそれはもう世界が大変なことになっちゃうなと密かに想像していたんです。大量破壊兵器、細菌兵器、世界を滅亡させる程の高い知能を持っている人。もちろんすべては僕の空想です。ただ、「もし湯川さんが悪側の人だったらどうなるんだろう?」と。もちろん湯川さんは善の人なので絶対に悪にはいきませんが、僕と湯川さんとの付き合いの中で、「もし東野先生が湯川さんとは異なるダークなキャラクターを描くとしたらどんな作品になるんですかね?」みたいな会話の流れからだったと思います。
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――神尾武史というダークヒーローの魅力はどういったところに?
福山:実際のところ「どっちなんだろうな?」というところでしょうか。ダークヒーローと言いながらも、「がっつりダーク側の人なのか? そう見せちゃってるだけなんじゃないの?」というところが、武史の魅力なのかなと思っています。
――ダークヒーローか否か、微妙な部分を演技で表現するのはいかがでしたか?
福山:その匙(さじ)加減は1カット1シーンごとに監督と細かく作り上げてきました。いい人に見えちゃうとつまらないし、本当に悪い人でもまたつまらないなと思う。「どっちなんだろう? 本当はいい人なんじゃないの? いやいや、人をだましてそのことに快楽を感じるような根っからの悪人」とかいろいろと。おそらくそのどちらの要素もちりばめた方がいいんだろうなと思ったので、そこはシーン、カットごとに一言一言を積み重ねていきました。
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■作品作りがエンターテインメント
――元・マジシャンである武史は、いかなる時もエンターテイナーとしての振る舞いを忘れません。福山さんが考えるエンターテインメントとは?
福山:非現実な表現を自分事のように感じてもらうのがエンターテインメントの機能だと思っています。例えば、日常で“殺人”はなじみがないものですが、映画やドラマの物語の設定としてはよく使われます。殺人の是非を描いている専門書ではなく、小説では“なぜ殺人に至ったのか?”という人間の心情を描くものが多い。それを読んだり見たりした時に「もしこれが自分のことだったら…どうする?」と感じてもらえるような作品にするのが我々の仕事だと思っています。
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――福山さんご自身は、役者とミュージシャンとではエンターテイナーとしての姿に変化を感じますか?
福山:ミュージシャンも舞台上で自分が思う“ミュージシャン像”を演じているでしょうから、そういった意味では同じです。ですが似て非なるもので、どちらも表現者であることに変わりないと思いますが、僕の場合大きく違うのが、歌唱のみではなく、作詞作曲もやっているシンガーソングライターであるというところ。そうなると音楽の領域では、作詞作曲=脚本、歌唱=主演、編曲や舞台演出=監督、LIVE DVDの製作=編集、宣伝及び作品全体のプロデュースなど総合的に全て携わることになります。でも俳優の現場は分業なので、僕は映画やドラマの世界では基本俳優のみとなる。今回のようにテーマソングのオファーをいただくと重心が少し変わりますが。
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――今作では、コロナ禍、町おこし、インバウンドといったさまざまな問題もはらんでいます。舞台となった“名もなき町”を福山さんが救うとしたら?
福山:エンターテイナーとして、その町にとって役立てることがあればぜひ協力したいと常に思っています。地元長崎の地域創生プロジェクトには多く関わらせていただいて、その経験から瞬間最大風速的なことができることは分かってきました。今後はそれを高い温度でいかに持続させるか?ということが課題です。
ここで描かれてる“名もなき町”を救うというのは、結局は「その人にとっての幸せとは何か」ということだと思っています。例えば、渋谷だったら新しい文化も新しい経済もどんどん生まれて、たくさんの人が集まってきます。でも、この渋谷にいることが幸せだと感じる人もいれば、逆に孤独を感じるという人もいるでしょう。都会で何か手にする人もいれば、夢や希望に傷つけられる人もいる。ある地域に対して、勝手にこちらが「寂しい町だな」と思っていても、そこに住んでいる人はちっとも寂しくないかもしれない。「この町は自分たちにはちょうどいいんだよね」という幸福もあるかもしれませんから。
(取材・文:ふくだりょうこ 写真:米玉利朋子[G.P.FLAG inc])
映画『ブラック・ショーマン』は9月12日全国公開。
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